二人のいない街 前編

ミックは7階建てのアパートを見上げてため息をついた。
月は真上に出ているのにアパートは真っ暗なままだ。

こんなことサエコかファルコンにでも任せりゃいいのに。

遺品整理なんて。

正確には、日本の法律に引っかかりそうなモノだけを片付けるようにと、教授に言われたのだ。
ゆくゆくはこのビルを人手に渡すことを考えているのだろうか?
老朽化が進んでいるので取り壊すのだろうか?
どのみち出てきてはまずいモノが沢山ある。

一番片付けなればならないものがあるはずの地下の武器庫は後回しにした。
今日は下見だけだからという理由をつけて。
6階まで灯りの消えた階段をゆっくり登る。

静かだ。
自分の足音しか聞こえない。
そういえば誰もいない冴羽アパートを訪問するなんて初めてかもしれない。
初めてココに来たときはカオリと一緒だった。
カオリから決闘の電話を貰った直前にリョウが出かけて……アパートに一人になったのはあの時が最初で最後だったな。
あの時は一人になっても、静かさなんて感じなかった。

あの頃は楽しかったな。いろいろあったけど最後にはみんな笑っていたからな。

 

最期のとき、カオリは……いつものあの女神のような笑顔のまま天に召されたのだろうか?
リョウの隣にちゃんといられたのだろうか?
一人、冷たい海原に放り投げられたとは考えたくない。

いや、あのリョウがそんなことさせるわけがないか。

 

6階の入口の前に立ち、インターフォンを鳴らす。
白いスーツと深色のネクタイを正す。
ほんの少しだけ期待してしまった自分に苦笑する。
いつもなら愛しいカオリの弾んだ声と、廊下を渡るスリッパの乾いた音が必ず聞こえた。
ドアノブを回す。が、少しだけ回転して止まった。
「そうだった」
ミックはスーツの内ポケットから鍵をとりだし、鍵穴に差し込む。
カオリが在宅している時を狙ってこのアパートを訪ねてきていたというのもあるが、鍵がかかっていないことがあたりまえだと思っていた。
新宿のおせっかいな友人たちは、いつもリビングまで一直線に向かってくる。インターフォンを鳴らすことさえしない。

リビングをのぞく。
照明をつけなくても、カーテンが開いているので、窓から差し込む月明りだけで充分明るい。
ミックも僚と同じように夜目がきく。
観葉植物が枯れていることをのぞけば、アパートの持ち主がいた時と何も変わっていない。

3年か……

二人は冴子の依頼で太平洋を航行しているタンカーに乗り込んでいた。
無事に黒幕をヒットし、後は逃げるだけ、というところでタンカーは大爆発をおこし、沈没した。生存者はいない。

死体があがったわけでもない。
もっともタンカーが航行していた海域は海流がぶつかっている地域で、万が一漂流物があったとしても日本の海岸にはあがらず、太平洋側に押し流されていく。

ミックは香の部屋のドアの前で足を止めた。
ノブに手をかける。
「……」
ここは……やめとこう。おそらく俺が片付けなければならないものは一つもない。
あるのは、春風のような思い出だけだ。
結局、一度も夜這いに成功しなかったな……この部屋でも、カオリが家出してきた俺の家でも。
ま、あれは、俺が悪いんじゃない。カオリが魅力的すぎたのが悪いんだ。ついでにその自覚が一切ないのが致命傷だ。
リョウが不憫に思えるよ。

ミックはキッチンに移動した。
初恋の人は、いつも笑顔で、ここで楽しそうに料理をしていた。おいしいコーヒーを淹れてくれた。
和食の食べ方は、すべてカオリが教えてくれた。
冷蔵庫を開ける。庫内灯がついた。
電気は止めていないのか。
二人が死んだことを、誰も信じようとしていないのだ。
今、アパートに明かりをつけたら誰が一番に飛んでくるのか、とふと考えた。
「まぁ、サエコだろうな」
リョウが死んだという知らせを受けて、一番こたえていた。自分の依頼であんなことになっちまったからな。そりゃそーだろうな。
日本でのリョウの最初のパートナーだった男と良い仲だったと聞いた。そいつも死んじまったし、サエコも男運ないな。
冷蔵庫のポケットには、いつもペットボトルのミネラルウォーターが入っている。
俺もリョウも、ペットボトルから直接飲んでいつもカオリに怒られていたな。
「コレを飲んだらヤバいよね」
ミックは、自分が処分する必要のない場所ばかり見ていることに気づき、苦笑した。

 

屋上に出てミックは煙草を吸った。
誰もいないので室内で吸ってもいいのだろうが、天国の香が嫌な顔をしそうなので屋上で吸う。
カオリは天国確定だよな。リョウは地獄だろうか? あの二人が死んだくらいで離れるとは思えない。リョウは天国には行けないから、カオリがリョウを追って地獄行きか。きっと地獄でも天使のような笑顔を見せているんだろうな……俺も死んだら地獄なのかな? エンジェルだから天国か? 地獄には綺麗な女っていなそうだからイヤだな。
そんなことをとめどなくぼんやりと考えていた。
紫煙が風に流され、満点の星空に消えていく。
向かいのビルを見る。
毎日毎日、かずえには気にしていないと言いながら、いつかアパートに二人が帰ってくることを心の底から願っていた。
いつか明かりが灯ることを、笑い声が聞こえることを願っていた。
気まぐれなスイーパーだ。もしかしたら、突然海外に現れることもあるだろう。
世界中にいる情報屋にそれとなく声をかけていた。シティーハンターの名がでたら教えてくれ、と。
だがそれは叶わなかった。
そして3年がたち、教授から連絡がきた。
このアパートを片付けちまったら、本当に、お別れだな……
俺が日本にいる意味がなくなっちまったな。
短くなった煙草を踏み潰す。
アメリカでスイーパーをしていたときだって、たくさんの人を殺してきた。恋人も、仲良くなった人間さえも殺めてきた。しかし、何も感じなかった。あの頃だったら、きっとリョウでさえ平気で殺せたはすだ。なのに……
なのに、いつから俺はこんなに弱くなっちまったんだ?
ミックの頬を涙がつたっていった。
錆びた手すりに両手を組んで、祈るようにこぶしを握り締めた。

「……ばかやろう!!」

二人のいない街 後編
「不法侵入だぞ」 「!?」 はじかれたように振り向いた先には、僚が涼しい顔をして立っていた。 ミックは言葉がうまく繋げない。 「な……んっ」 「悪かったな。連絡もしなくて」 と、悪びれる様子もなく言った。 その表情から、香も無事なことがわか...

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