お月見泥棒

僚はいつものように呑んで帰ってきた。
今日はなんとなく乗らなくて(というか香の顔が見たくなって)早く帰ってきた。
おそらく22時を少し回ったくらいだろう。
アパートの前の歩道から上を見上げる。
リビングには明かりがついている。
視界に入った屋上に見慣れないものが揺れていた。
 
あれは?
 
見慣れないものの横の手すりには香が身体をあずけ空を見上げていた。
香の頭上には大きな黄色いまん丸い月が浮かんでいる。
 
満月か。
 
僚は屋上に直行した。
 
鉄製のドアを開ける。
香は手すりに頬杖をついて、月を見ている。
僚にはその背中が泣いているように見えた。
 
「何してんの?」
 
声をかけると香は笑顔で振り返った。
振り返る直前、長袖のTシャツの袖で涙をぬぐったように見えたのは気のせいだろうか?
 
「おかえりー^^」
 
香はカシスの缶チューハイを持った手を軽く上げた。
階下から見えた見慣れないものはススキだった。
その隣には折り畳み式の小さなテーブル。白いクロスをかけられて月見台になっている。上には白い陶器の皿に乗せられた真っ白い団子たち。
 
「今日ね中秋の名月なんだよ。知ってた?」
 
「いや」
 
「スーパー行ったらね、ススキをもらったの。だからお団子も買ってきちゃった」
 
「で、お前は月見酒なの?」
 
「ふふ。風が気持ちよくてね」
 
「酔っぱらい」
 
「僚もじゃん。お酒臭いよ」
 
香は缶チューハイをひと口飲んだ。
日の沈んだ晩夏のぬるい風が頬を撫でていく。
僚は背中を手すりに預け、両肘を乗せた。足元のコンクリートには月明りで影ができている。
 
「……小さいころね、アニキが「俺に気づかれずに団子を盗め」っていうの……警察官の言葉じゃないよね」
 
香は月を見つめたままぽつりと言った。
 
「結局、あたしは一度も盗まなかったの。意味わからないし」
 
僚は香の横顔を見つめる。
少しのアルコールで火照った肌とうるんだ瞳は、月明かりに照らされてどこまでも淫らだが、月の魔法にかかったように儚く見える。今にも消えてしまいそうだ。
 
「大人になってから、それは昔からの風習で、縁起がいいことなんだって知って……アニキも理由を教えてくれればよかったのになって、そしたらあたし一生懸命盗んだのに……」
 
香はアルミ缶を一気に飲み干した。
 
月見酒の理由はそれか。
連れて行かないでくれ、槇村。
 
 
 
「これでいいのか?」
 
くぐもった僚の声に、香は振り向いた。
月見団子があったはずの場所には、何も載っていない白い陶器のお皿だけ。
僚は口をもぐもぐと動かしている。
 
「あー、全部たべちゃった! 明日みたらしにして食べようと思ってたのに!」
 
香は「吐きだせ!」と僚の胸ぐらをつかみ揺すった。
僚は楽しそうに揺すられると、ごっくん、といい音をさせて飲み込む。
 
「それに盗んでいいのは、子どもだけなの! 30過ぎたおっさんがとってもダメなの! バカー!」
 
「……俺は槙ちゃんには勝てないよ」
 
「ん? なに? 何か勝負でもしてたの? 僚でも勝てないなんてアニキすごいじゃん^^」
 
ちっ。
 
僚は思わず舌打ちをする。
解ってるよ。これは嫉妬だ。
 
「わー! 僕チン満月見てたら狼男に変身しちゃったー! がおー!」
 
僚は香の細くて白い首に噛み付く素振りを見せる。
あくまでじゃれている風を装う。
 
「血をくれー」
 
「きゃははは。くすぐったいよー。それはヴァンパイアでしょ」
 
僚は香の首に血を吸うフリをして、そっと鬱血の後を残す。本人にも気づかれないように。
じゃれているフリをしてみせる。
所有物である刻印を確認すると、香から離れた。
 
そんなことでしか槙村には勝てない。
 
僚は何事もなかったかのように、腕を頭の後ろで組むと、ドアに向かって歩き出した。
 
「腹減ったー。何かある?」
 
香は僚の後を追う。
 
「こんな時間にあるわけないでしょ。てか、お団子食べたじゃん。あたしが食べたかったのにー」
 
 
 

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