もっと

その日は何でもない日だった。
本当に普通の日だった、そのはずだった。
いつものように依頼はなく、馴染みの喫茶店の店主夫婦は優しくて、会話は楽しくて、僚はナンパしていて、ハンマーをお見舞いして、洗濯物は良く乾いて、ゆっくりお風呂に入って、最近お気に入りのローズヒップティーを飲みながらテレビを見て、日付が変わった頃に眠くなったのでベッドに入った。

 

夜中に今までにない感触で起こされた。
僚があたしにキスしてた。アルコールの匂いがした。
「……ん」
僚の暖かい舌があたしの中にはいってきて名前すら呼べなかった。
パジャマのボタンをはずそうとする僚の手を掴んでも、やんわりと絡めとられ、動きを封じられ、なすすべが無かった。
何だか僚の必死感が伝わってきて、あたしは妙に冷静だった。
あんたは何でそんなに切ない顔をしているの?
酔っぱらってるみたいだし、誰かと間違えてるのかな?
そうだよね? そうじゃなきゃ、あたしを抱くなんて考えられない。
そか。あんたはそんな顔して女を愛するんだね……
あたしは抵抗するのが可哀そうになって、僚の好きなようにさせてあげたくなった。

 

次に目が覚めたのは僚の腕の中だった。
あたしは疲れ果てていつの間にか眠ってしまったのか、気を失っていたのかさえ判らなかった。
僚の腕の中ってのは、暖かくて心地いいんだね。僚の匂いがする。
今までも仕事上、抱きかかえられることは沢山あったけど、ぜんぜん違うんだね。
まぁ、裸だったことは一度もなかったけど。
まだ頭がぼんやりしてる。そして心地いい倦怠感。
少し顔をあげると、僚の慈しむような黒い瞳があたしを見つめていた。
「僚?」
「ごめん」
謝るってことは、やっぱ誰かと間違えたんだよね。
いつ間違いに気づいたんだろう? それでもずっとあたしが起きるまで傍にいてくれたのは、僚のやさしさなのかなあ?
「……誰を抱いてたの?」
「香」
こいつはアホか?
「……結果的にはね。じゃなくて、誰だと思って抱いたのかが聞きたいの」
あたしの知ってる人だろうか?
知ってどうするわけでもないんだけど、気になるじゃん? 僚の好きな人。
そしてなんであんたは困った顔をしているわけ?
「意味がわかりません」
こっちがわかりませんだゴルァ!
こんなアホに抱かれたかと思うと、こっちまでバカみたいじゃん。
「だーかーらー、酔った勢いで、誰かと間違えて私を抱いたんでしょ?」
「違います」
ぶっ! なんだその態度は。
ハンマーを出したいところだけど、身体が怠くて繰り出せそうにない。
「じゃあ、なんであたしを抱いたの? あたしは唯一もっこりしない女なんでしょ」
なにが何だかわからない。
僚は笑ってる。
「カオリンは俺が言ったこと全部信じちゃうんだもんな」
なによそれ? 僚の言ったこと信じちゃダメなの!?
パートナーなんだから、普通信じるでしょ。
「んー、ま、あれだ、ボクちん、我慢できなくなっちゃった^^」
僚が言うには、海坊主さんの結婚式の日にいい雰囲気になったのに、東京に帰って来てからのあたしの態度はいたって今までのそれで。
僚はそれでもスキンシップをはかったり、優しくしたりと努力したらしい。
あたしは返す言葉がなかった。
全然わからなかった……
気づかなかったあたしがいけないの?
「俺はあの時ちゃんと気持ちを伝えたし」
確かに言ってた。
言われたけどさ。
愛する者って言われて嬉しかったけど、それはあたしを含めて周りにいる皆んなのことだと思ってた。
守り抜くっていうのも、例えばスイーパーと繋がりがある警視庁の女豹とか、銃を持てなくなった元スイーパーのジャーナリストとか、目が見えなくなった元傭兵の喫茶店店主とか、一般人に毛がはえた程度なのに世界一のスイーパーのパートナーを名乗ってる男女みたいに、何かあったらちょっとヤバそうな人を助けるって意味だと思ってた。
違ったのかー!
あたしは顔が急激に熱くなっていくのを感じていた。
え? え? え? ってことはさ? さっきの全部、あああああたしだと判っててあんなことやこんなことをしたのかー!?
あたしは思わずベッドの上で飛び起きた。
あらわになった胸元をあわててかくす。
僚も起き上がると楽しそうに笑ってる。
「もう、隠さなくってもいいじゃん?」
「よくないわよ!」
「なんで今になって顔赤くなってんの?」
「う、うるさい! あ、あたし初めてだったのに!」
「たっぷり濡れてたから、大丈夫だったろ?」
な、な、な、なっ! 何言ってんの!? この変態バカ殺したいっ!
「ばっ、ばかばか! 意地悪! 大っ嫌い! 顔も見たくないわっ! この部屋から出てって!」
「やだ! 今夜は一緒にいる」
こいつっ! 開き直りやがって!
「じゃあ、あたしが出ていくわよ」
あたしはベッドから降りようと足を延ばした。
「痛っ!」
腰のあたりに激痛が走って動けない。この男は手加減ってものを知らないのか!
あたしは無言でうずくまった。
涙目になっていたと思う。
「ごめん」
なんでそんなに切なそうな顔してるのよ? あたしは謝られるようなことをされたの?
僚はあたしの腕をつかんで引き寄せ、抱きしめて言った。
「こうしていれば顔を見なくてすむだろ? ……だから一緒にいよう」
僚はずるい。
「……うん」
そのままあたし達はベッドに横になった。

「……ねぇ、僚」
「うん?」
「大好き」
「知ってる」

コメント

タイトルとURLをコピーしました