日課

 

「そこのモッコリおねぇさ~~~ん♪ 一緒にお茶しな~い?」
肘鉄。言葉にならない声をあげて大げさに歩道に沈められる男。
 
香はいつものように伝言板に依頼がないことを確認した帰り、スーパーに行く途中、道路の反対側で、これまたいつものように不毛なナンパを繰り返す相棒を見かけた。
 
立ち上がった男は、多少ヨレヨレに見えなくもないが、それでも笑顔で先ほどとは違う女性に声を掛けていた。
 
香は一瞥すると、そのまま何事もなかったかのように歩き出す。
 
男はナンパの最中だったことも忘れ、その後姿を見つめた。
知らない女の可愛い肘鉄よりも、香の100tハンマーを欲していることなど、当の香は知らない。
 
香はあきれ顔で小さくため息をつく。
「毎日毎日……そんなに楽しいものかね~」
ていうか、もうあれは日課だよね。しなきゃいけないモノなんだろうな。歯磨きみたいな感じか?
 
ふむ。
 
よし、あたしもやってみよう!
 
やってみなくちゃ判らないこともあるもんねっ。
 
香は僚の真似をしてとびきりの笑顔を作ると、近くにいた僚好みの女性にとりあえず声をかけてみた。
 
「そこの綺麗なお姉さ~ん。お茶しない?」
 
振り向いた女性は花が咲いたような笑顔になった。心なしか頬が赤い。そしてぴょんぴょん跳ねている。
「え、あなた槇村香さんでしょ!? 嘘みたい! 私に声を掛けてくれるなんてっ、ぜひぜひお茶しましょ^^ その後はドコ行きます? 私、女性相手は初めてですけど、香さん相手なら頑張ります!」
「は?」
 
訊けばその女性は某アイドルの生写真を売っている店で香の写真を見てからファンになり、仕事が休みの日は新宿で香の姿を探す日々だったらしい。
 
「ごめんなさい。人違いだったみたい!!」
「そんなこと言わずにぃぃぃぃ! 香さ~~ん!」
 
香は腕にすがりつく女性を振り払い、自慢の脚力で猛然とダッシュで逃げ出した。
 
女性が追ってきていないことを確認すると、ほっと胸をなでおろす。
 
か、考えてみたら、あたし女なんだから、女に声かけたって、ダメじゃん。
 
よしっ。
 
「そこのかっこいいお兄さ~ん。お茶しない?」
歩いてきた男に声を掛けてみた。
背の高い男にしたのは、いつもの見上げる目線のほうが話しやすいと思っただけだ。
髪の黒い男にしたのも、あからさまにチャライ男よりは良いと思っただけだ。
体格のいい男にしたのも、ひょろい男よりは良いと思っただけだ。
別に誰かを意識したわけではない、はずだ。
 
男は振り向き、微笑んだ。
 
あ、笑顔が違う……
 
「君みたいな綺麗な女性から声を掛けてもらうなんて、今日はなんてついてるんだ」
 
声が違う……
 
何より瞳が違う。
 
バカみたい。こんなことしてないで、買い物に行けばよかった……
 
「ごめんなさい。人違いだったみたい……」
香の声は男が強引に腕をひいたことでかき消された。
「いいじゃないか。人違いだって立派な縁だよ」
「や、ちょっと」
「自分から声を掛けといてそれはないだろう!」
男の腕に力が入る。
 
気持ち悪っ!
 
「本当にごめんなさいっ、離してください」
相手が僚やミックならば躊躇せずハンマーの餌食にできるのだが、一般市民が相手ではそれもままならない。おそらく死んでしまうだろう。
 
男はぐいぐいと香の腕をひっぱり、人気のない路地裏に引きずり込もうとする。
 
ど、どうしよう。
できるかぎり手加減します、ごめんなさい。と右手にハンマーを召喚寸前、聞きなれた男の呑気な声がした。
 
「おまぁ、何やってんの?」
「ああ、僚!」
 
腕をつかんでいた男はあからさまな視線を僚に向ける。
「誰だ、おまえ」
 
香は腕をつかんでいる男に向かって言った。
「ほ、ほら。この人と間違えちゃったの」
 
僚は、今だ手を離さない男と香の間に入ると、香に背を向けた。
「悪いね、ウチのが迷惑かけちゃったみたいで」
言葉とは裏腹に醸し出すオーラは一般人なら泣いて逃げ出す代物だった。
男は心の中で完全に白旗を掲げ、パッと香の腕を離し、間違いは誰にでもあるからねー、とか何とか消え入りそうな声で言うと一目散に逃げだした。涙目である。
 
「んで? おまぁは何がしたかったの?」
振り返ってそう訊いてくる僚は、少しあきれ顔のいつもの笑顔だ。
香はヘヘ、と笑う。
「いつも飽きずに懲りずにナンパしてるアンタの気持ちがわかるかと思ってww で、でももういいわ。やっぱあたしにはムリ」
 
「そーしてくれ」見ちゃおれん
 
「ていうかアンタすごいよね。どーやって声かけたら毎回振られるわけ?」
僚の隣に立って香は少し見上げる。いつもの目線の角度だ。
 
「ほっとけ」
 
 
 
「お茶でもする? おまぁ、汗だくなんだけど」
「うん行く。ダッシュしたから喉カラカラ」
「買い物も行くんだろ? 荷物持ちも付き合うよ」
僚は香の赤みがかった癖毛をくしゃっと撫でると歩き出した。
「ナンパはもういいの?」
香もすぐ後を追って歩き出す。
「今日はおしまい」とびきりのもっこりちゃんと一緒だからね
僚の方が歩幅が大きい。香は心なしか早足になる。
「え? なに?」
 
「なんでもないよ。ばぁか」
「バカとは何よ! お米とミネラルウォーターと牛乳を買ってやる!」
「へーへー、重たいもんばっか。じゃ、ついでにビールも」
「却下」
「ええ~~~。買ってよぅ」
 
香が先を歩く。僚はその後を楽しそうに歩いていく。

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