hostage

冴羽僚にウィークポイントができたという噂がどこまで広まっているのかは分からないが、奥多摩での伊集院夫妻の結婚式から数か月、身も心もパートナーとなった香は大忙しだった。

裏の世界で名を売ろうとする自称ナンバーワンスイーパーが僚の命を狙う。
それは恋人になる前からよくあることだったが、冴羽僚と正々堂々と渡りあえるわけもなく、とばっちりは全て香に向かってくるのだ。

素人に毛が生えたくらいの腕なら、香にも対処できる。
とりあえず夕食の時にでも、僚に報告しておく。
手だれた連中の時には僚に任せる。明らかに気配の違いでわかる。

困るのは興味本位でスイーパーになってみようと思い立った人たちだ。
ただキャッチフレーズとして「ナンバーワン」が欲しいだけの人たち。
当然殺気もない。
正直香には殺気しかわからない。

ネットでどこまで広まっているのかは計り知れないが、新人からプロまでありとあらゆる顔も知らない連中が、冴羽僚をおびき寄せるエサを捕まえようと香をつけ狙う。

電気代にもならない殺しなんてまっぴらだ。

 

 

今日も伝言板を見た帰り道。
キャッツによろうかとも考えたが、初夏の風が気持ちよかったので公園を散歩した。
いつものように依頼はなかったけれど、青空はどこまでも澄んでいて、風がやさしく頬をなでた。

池の水面に反射する光に目を細め、遠くに子どもたちのはしゃぐ声を聞いたとき。
スプレーの音が耳元で聞こえた。
ハーブの香り。

遠のく意識の中、視界に入ったのは背の高い男の影。
深いグレイのスーツに髪も短くそろえられ、切れ長の目は冷たく微笑み、口はゆがんでいた。
笑っているのかもしれなかった。
一見するとどこにでもいるサラリーマン風の男。
違ったのはジャケットの隙間から見えた真新しいホルスター。

……これじゃ、わかんないよ。

 

 

どのくらい眠らされていたのか、香は薄暗く埃っぽい倉庫のようなところで目が覚めた。
小さなはめ込み式の窓がひとつ。
汚れたガラス窓からは西日が差している。空以外に見えるのは電柱の頭だけ。香がいるのは2階らしい。

香は頭の後ろで両手を結束バンドで縛られ、壁から突き出たパイプに括りつけられていた。
足首も太い結束バンドで縛られている。

薬の影響からか目の奥がズキズキと痛む。

あ~あ、またか。これじゃパートナー失格ね。

小さくため息をつくと、あたりを窺った。

窓の外はとても静かだ。倉庫内に放置されている段ボールやドラム缶の類からおそらく埠頭に近い倉庫群だと思われた。
鉄製のところどころ錆びた扉が閉まっているので、階下の様子はわからないが近くに男の気配はない。

「さてと」

おそらくド素人であろう犯人に誘拐されたとあっては、僚に何を言われるかわからない。自分で言うのは良いが、僚にパートナー失格とだけは言われたくない。
発信機内蔵のボタンはついているが、僚に気づかれる前に脱出したい。まだナンパから帰る時間ではないが、日が暮れて僚の正確な腹時計が夕食の時刻を知らせたらまずい。

急いで脱出して、できれば犯人にも見つからずにアパートに帰り、冷凍してあるカレーを解凍すれば、誘拐されていたとは思わないだろう。サラダとスープはすぐにできるし、時間があればカツだって揚げてやる……
カツを揚げている時に僚が帰ってくればベストだ。
揚げたてを食べさせてあげられる。
笑顔で「おかえり」と言えばいいんだ。
何事もなかったようにふるまえばいい。
あとは手首に拘束されていた痕が残りませんように。

「急がなきゃ」

シャツの袖に仕込んであるカミソリを自由のきかない手首を回転させながら引き出す。
動きが制限されているので、上手くカミソリを扱う指に力が入らないが、少しずつ結束バンドに傷をつけていく。

と、階下で聞きなれた銃声がした。

早くない!?

まだ手首の拘束外れてないんですけど。
てか、まだナンパしてる時間でしょ? 伝言板の帰りにちょっと寄り道することだってあるでしょ? なんで拉致されてるってわかったの??

あ、犯人が連絡したのか。あのヤロー!

鉄製の階段をのぼる音がコンクリートを踏みしめる乾いた音に変わり、ドアの前で止まった。
鈍い音を立てて開いたドアから現れた僚は、いつもの営業用ポーカーフェイスで香を見やる。
香は僚が怒っているのか疎んじているのかわからないので、とりあえず愛想笑いでごまかした。

「は、はぁい♪」

香が怪我をしていないことを確認して安堵の表情を浮かべても、鈍感娘にはわからない。

「カオリン、まぁた拉致られたのね」

香は痛いところをつかれ、唇を噛んで僚から目をそらした。
こんなに早く現れて、相手を一発で仕留めて、涼しい顔をして助けにきてくれた。なのに自分はあっさり捕まって、反撃どころか拘束一つ解けていない。
力の差を見せつけられて、とても強がれる気分ではない。

僚はポケットからナイフを取り出し、香の足の拘束を解いた。

「……ごめん」
また、迷惑かけちゃった。
今にも消えてしまいそうな声でそれだけ言うのが精いっぱいだった。

「助けられて『ごめん』はないだろ。『ありがと、チュッ』でしょ?」

ちゅっ。って何よ。
こっちは相変わらずの非力ぶりに凹んでるっつーに。

香は小さくため息をもらした。

そんな香の落胆を冴羽僚が見逃すはずもない。

拘束で赤くなっていた香の華奢な足首を両手で持つと、そのまま開かせる。
「な、何するのよ!」
僚は両足の間に身体を潜り込ませ、シャツの下に手を入れるといかがわしい動きで下着の上から胸をやわやわと揉みしだく。
「カオリン♪ 今夜は人質プレイにしよう。そうしよう♪」
「ひひひひ人質ぷれーって何だよ! ゴルァ!」

ブチッ!

それは香のブチ切れた音ではなく、怒りと羞恥の力任せに腕を拘束していた結束バンドが引きちぎれた音だった。
香の手に10トンハンマーが煌めく。
ハンマーを両手で構えた香を抱きしめ、僚は耳元で囁いた。
「今度もし、また拉致されちゃったとき、俺とのプレイを思い出してて。カオリンがエロいこと考えてるあいだに、俺が絶対助けに来るから」
「……りょお」

ぐふふ。その晩はカオリンきっと、いや絶対燃えちゃうし♪

抱きしめられているので、香は僚の破顔を知らない。

一階には公園で見たサラリーマン風の男が倒れていた。
争うこともなかったのだろう、きれいな死体だった。眉間に開いている穴さえ綺麗にど真ん中だ。
スーツの下にはホルスターに納まったままの銃が見えた。
抜くことさえ許されなかったのか。

この人は何がしたかったんだろう? こんな寂れた倉庫が終焉の地になるなんて昨日までは想像もできなかっただろう。
名前さえ名乗らずに死んでいった。
この人の声すら聞けなかったな。もうちょっと話でもできれば、この人にも明日が来たかもしれない。

後ろから香の両目を片手で優しく覆う僚の乾いた大きな手。

死体にまで嫉妬させないでくれる?

「情報屋に聞いたんだけどさ、その人、一年前にサラリーマンから転職してスイーパーになったんだってさ。そんなもんかね? スイーパーって」
そう言って、僚は肩を竦めた。
「そか、僚はこの人の声を聴いたんだね」
「声? んにゃ、悲鳴をあげる余裕もなかったみたいだから、聞いてない」
「え、だって、あたしを拉致したって連絡があったでしょ?」
「そんなんないし? え? 俺の番号って駆け出しのスイーパーにまで広まってんの?」
「じゃあ、どうしてあたしが拉致られたってわかったの?」
「え? えーっと、それは、あれだ、なんだ? 腹の虫がいっせいに騒いだからだ」
「腹の虫? お腹すいたってこと?」
「ま、そーゆーことか、な?」
腹の虫で誤魔化せたことに驚いた。
「夕食には早くない? ……ま、いいか。何か食べたいものある?」
「そうだなぁ、カツカレーとか」
香はにっこり笑う。
「了解」

コメント

  1. より:

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    • fumina より:

      榴さん

      コメントありがとうございます。

      思いは強くても押しつけちゃいけないと思ってるカオリンに私は萌えますww

      拙いサイトですがまた来ていただけたら嬉しいです^^

  2. しろ より:

    このコメントは管理者だけが見ることができます

    • fumina より:

      しろさん
      コメントありがとうございます。
      私も中毒でーす⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
      ピタリとはまって頂けて、なんだかとてもうれしいです
      ちょっと今は家庭内がゴタゴタしていて書ける状況ではないのですが、落ち着いたら必ずかきますね。
      また遊びに来ていただけたら嬉しいです^^

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